哀・戦死(ちょっとベタか。)
2001年3月23日今日もCの勉強をしていました。
ずーっとプログラムを書いてきて、そろそろ完成なので保存しておこうかなと思いCtrl+sを押す。
すると、近くのキーに触ってしまったせいか、すべて選択になってしまった。
訳もわからず、とりあえずもう一回押す。
すると・・・・・
今まで書いたことが全部消えていた。
アレ?
でも、前に保存した奴開けばいいだろうと思ってたってみる。
アレ?
画面は真っ白なままである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
ってなわけで、勉強を止めて暇つぶしに日記でも書いている空鼠なのでした。
ずーっとプログラムを書いてきて、そろそろ完成なので保存しておこうかなと思いCtrl+sを押す。
すると、近くのキーに触ってしまったせいか、すべて選択になってしまった。
訳もわからず、とりあえずもう一回押す。
すると・・・・・
今まで書いたことが全部消えていた。
アレ?
でも、前に保存した奴開けばいいだろうと思ってたってみる。
アレ?
画面は真っ白なままである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
ってなわけで、勉強を止めて暇つぶしに日記でも書いている空鼠なのでした。
明日には架けるかもしれない橋。
2001年3月22日今回のタイトルもパロディーである。
っていわんでも分かるか。
この映画の原題は”Bridge over the trobled water.”、これを明日にかける橋と名訳した翻訳家に拍手である。
そういえば、日記に変な口調で過激なことばかり書いていたら、相方に突っ込まれてしまったので、次回からはもうちょっと物腰やわかく・・・いくつもりはないですね、やっぱり。
まあ、最近ちょっと疲れてきてるんで、あんまし過激な事もいえないかも。
でも、ちょっと言い訳をさせてください。
僕はよく毒舌家だと言われますが、僕自身、毒舌ってのは恥だと思っています。
どんなに完璧に見える理論でも、見方を変えればとんでもなく理不尽な物になるかも知れないわけで、
それを、語気強くいやみったらしく述べるなどもってのほかと考えています。
ではなんであんな書き方をしてきたかというと・・・そっちの方が書いてて面白いからです、正直言うと。
でも、もう1つ理由があります。
僕が書くような文章をみて快く思われるような方はまれにしかいないでしょう。
多分、同じような考え方を持っている人でさえそうでしょう。
読んで、むっとするというのが正常な人間の反応でしょう。
でも、むっとして、「何言ってるんだこいつは。」
で終わって欲しくないんです。
腹が立ったら、僕の言ってる事のどこがおかしいか考えてみてほしいんです。
たかだか19歳の頭の悪い大学生が何の推敲もなしに一時間ちょっとで書き上げた文章など、おかしい所の塊みたいなもんでしょう。
そうするこが、論理的な思考を身に付ける事を手助けすることもあるでしょう。
まあ、僕は単に楽しんでるだけですけど。
そういえば、春学期のプログラミング法?ではオセロを作り、その思考ルーチンまでも自作するそうです。
一年でプロ法落としてしまった僕としては、この春休みにかなり頑張っておかなくてはとおもい、ただいま勉強中なのですが・・・・
むずいっす、僕が頭悪すぎるだけかも知れませんが。Cは覚える事多すぎるっす、勘弁して。
てか、さっきも課題をやっていたら、エラーがでて、このプログラムは不正な処理をしたので強制終了しますとか出てしまった。
終了しない場合はプログラムの製造元に連絡してくださいって言うんだけど、つくったの俺だし・・・
どうすりゃいいの?
てな感じで、今日も元気(?)な空鼠でした。
っていわんでも分かるか。
この映画の原題は”Bridge over the trobled water.”、これを明日にかける橋と名訳した翻訳家に拍手である。
そういえば、日記に変な口調で過激なことばかり書いていたら、相方に突っ込まれてしまったので、次回からはもうちょっと物腰やわかく・・・いくつもりはないですね、やっぱり。
まあ、最近ちょっと疲れてきてるんで、あんまし過激な事もいえないかも。
でも、ちょっと言い訳をさせてください。
僕はよく毒舌家だと言われますが、僕自身、毒舌ってのは恥だと思っています。
どんなに完璧に見える理論でも、見方を変えればとんでもなく理不尽な物になるかも知れないわけで、
それを、語気強くいやみったらしく述べるなどもってのほかと考えています。
ではなんであんな書き方をしてきたかというと・・・そっちの方が書いてて面白いからです、正直言うと。
でも、もう1つ理由があります。
僕が書くような文章をみて快く思われるような方はまれにしかいないでしょう。
多分、同じような考え方を持っている人でさえそうでしょう。
読んで、むっとするというのが正常な人間の反応でしょう。
でも、むっとして、「何言ってるんだこいつは。」
で終わって欲しくないんです。
腹が立ったら、僕の言ってる事のどこがおかしいか考えてみてほしいんです。
たかだか19歳の頭の悪い大学生が何の推敲もなしに一時間ちょっとで書き上げた文章など、おかしい所の塊みたいなもんでしょう。
そうするこが、論理的な思考を身に付ける事を手助けすることもあるでしょう。
まあ、僕は単に楽しんでるだけですけど。
そういえば、春学期のプログラミング法?ではオセロを作り、その思考ルーチンまでも自作するそうです。
一年でプロ法落としてしまった僕としては、この春休みにかなり頑張っておかなくてはとおもい、ただいま勉強中なのですが・・・・
むずいっす、僕が頭悪すぎるだけかも知れませんが。Cは覚える事多すぎるっす、勘弁して。
てか、さっきも課題をやっていたら、エラーがでて、このプログラムは不正な処理をしたので強制終了しますとか出てしまった。
終了しない場合はプログラムの製造元に連絡してくださいって言うんだけど、つくったの俺だし・・・
どうすりゃいいの?
てな感じで、今日も元気(?)な空鼠でした。
今日はダンサーインザダークの感想でも書こうとか思っていたのだが、おりゅーさんが実に見事な切り口で感想を述べてくれたので僕のような文章がド下手な人間が余計なことを言うのはやめておこう。
っというわけで、今回はこのダンサーインザダークを引き合いに出して、死刑制度について苦言を呈してみたいと思う。ついでに、アメリカの裁判制度、特に陪審員制度についてコメントしたいとおもう。
この映画、実に見事に、そして的確に、アメリカへの批判が込められているのだが、それはまたの講釈。まずは、死刑支持派の理論を一つ一つ論破していく事から始めようとおもう。
死刑支持派が第一に掲げるのは、死刑の廃止によって凶悪犯罪が増加するのでは、ということである。
これは、最も簡単に論破できる。
既に死刑の廃止を決めた諸国で、凶悪犯罪の増加は認められていない。これは、推測の類ではなく、既に結果の出た事である。すなわち、死刑は凶悪犯罪の抑止力にはなりえない。理由はめんどくさいので省かせてもらう。
遺族の感情を取り上げる場合もある。
これは少しあいまいになってしまうが、論破できなくも無い。
まず、日本は法治国家であり、法律で復讐は禁じられている。という前提がある。
そして、刑罰とは死刑を除けば犯罪者を更生させ、社会復帰させる事が目的であり(これに異を唱える人間もわずかながら存在するが、法律がそうなのだから仕方ない。これについても今度ゆっくり論破させてもらおう)被害者の復讐を代行するものではない。また、どんなに残酷な殺し方をしても一人殺しただけでは死刑になることはまずない。二人三人と殺せば高い確率で死刑になるが、おのおのの遺族の恨みはどちらの場合も同じはず。一人殺した犯人の遺族の恨みは晴らされず、二人三人の場合は晴らされるというのは矛盾ではあるまいか? そもそも国家が個人の復讐を代行するという考え方自体が法律とあまりにかけ離れているが・・・。
理論だけに頼るといまいち説得力に欠けるので、不本意ながら感情論を持ち出そう。
刑罰というのは、物質的にてを下した者とそれに命令を下した者にのみ適応される。
それ以外の方法、すなわち致命的な一言によって自殺に追い込んだ人間や、ある種暴力的な手法をもってシェアを独占し、それによってたの会社ないし店舗を経営困難に陥らせ、自殺者を出した会社、弱みに付け込み法外な利子で借金を負わせ自殺に追い込んだ金融会社なども罰せられる事は無い。しかし、被害者の感情とすれば直接てを下された場合と大して相違は無い。だが、これらの場合復讐が国家の手によって行なわれる事はありえないし、これを個人の手で行なえば処罰される。
物質的に手を下した場合は国家が復讐を代行し、そうでない場合は復讐さえ認めない。これを正義とするのは奇異奇天烈極まりない価値観だと思うのだが。
どうもうまくまとまらなかったが、犯人の死によってのみ救われる遺族の心なんてものは、端から病んでいるような気がする・・・・。
さてさて、第三の理由である。
一度釈放された犯人が、通報した人間や遺族を逆恨みし、殺人を繰り返すことを、死刑によって防ぐという主張である。
確かに、そういうケースは数多く報告されており、看過する事は出来ないであろう。
しかし、これは終身刑(無期懲役ではなく)を導入すれば防ぐ事は出来る。
脱獄の可能性もあり、被害者は安心できないではないかという指摘もあるであろうが、現在の死刑制度ではいつ誰が死刑になるか公表されないのだから同じことである。被害者は結局不安だ。
まあ、公表すればすむ話なのだが。
この辺はそうまでして人を殺したい?とでも言ってごまかしておくしかないだろう。
ここまでは、死刑制度支持派の主張を論破してきただけだが、今度は積極的に死刑制度の弊害について論じていきたいと思う。
まず1つ、これは精神論だし、僕以外にこんな事を考えている人は少ないだろうからあんまり気にしなくてもいいのだが。・・・・
それは、死刑を受ける人間が死刑に至るまでに受ける苦痛はその人間の犯した罪よりも大きいのではないかということ、死刑囚の多くはは死刑台に登るとき恐怖で足がすくんで動けなくなるというが、どんな凶悪犯でも被害者にこれほどの恐怖を与えた者はいないであろう。
なぜなら、犯人に襲われた被害者は”殺されるかも知れない”と思うだけだが死刑囚を待っているのは逃れられぬ確実な死である。
さらに言えば、死刑の日時は死刑囚には告げられない。それを待ちつづける死刑囚の心境たるや、想像することさえ容易でない。
ま、これは死刑に反対する根拠にはならんけどね。
第二に、無実の罪で死刑になる人間もいるかもしれないということ。岩窟王事件以来再審制度も確立されているが、それでも絶対にありえないとはいえない。死刑してしまえばその後決定的な証拠が出てももはや取り返しがつかないが、終身刑で牢獄に入っていれば賠償金を支払うぐらい出来るだろう。
(最もそれで十分だとは口が裂けても言わないが。
)
ここまでだと、死刑なんかせんでも終身刑の方がええよー。といってるぐらいだが、最後に決定的な一事を上げようと思う。
それは死刑執行人の精神への悪影響である。
死刑制度を導入している多くの国で(日本を含む)
死刑執行人が、自ら殺人を行なった事件が数多く報告されている。この一事をもって死刑制度が彼らを殺人者たらしめたとはいえず、端から人を殺したい人間が死刑執行人を志願しているのかもしれないが、その場合でも死刑制度は殺人者の息抜きに使われた事になり、どう言葉を取りつくっても健全とは言いがたい。
以上の根拠をもって僕は死刑制度の撤廃を強く求める物である。
うーん、長くなったねえ、陪審員に関してはまた明日ね。
っというわけで、今回はこのダンサーインザダークを引き合いに出して、死刑制度について苦言を呈してみたいと思う。ついでに、アメリカの裁判制度、特に陪審員制度についてコメントしたいとおもう。
この映画、実に見事に、そして的確に、アメリカへの批判が込められているのだが、それはまたの講釈。まずは、死刑支持派の理論を一つ一つ論破していく事から始めようとおもう。
死刑支持派が第一に掲げるのは、死刑の廃止によって凶悪犯罪が増加するのでは、ということである。
これは、最も簡単に論破できる。
既に死刑の廃止を決めた諸国で、凶悪犯罪の増加は認められていない。これは、推測の類ではなく、既に結果の出た事である。すなわち、死刑は凶悪犯罪の抑止力にはなりえない。理由はめんどくさいので省かせてもらう。
遺族の感情を取り上げる場合もある。
これは少しあいまいになってしまうが、論破できなくも無い。
まず、日本は法治国家であり、法律で復讐は禁じられている。という前提がある。
そして、刑罰とは死刑を除けば犯罪者を更生させ、社会復帰させる事が目的であり(これに異を唱える人間もわずかながら存在するが、法律がそうなのだから仕方ない。これについても今度ゆっくり論破させてもらおう)被害者の復讐を代行するものではない。また、どんなに残酷な殺し方をしても一人殺しただけでは死刑になることはまずない。二人三人と殺せば高い確率で死刑になるが、おのおのの遺族の恨みはどちらの場合も同じはず。一人殺した犯人の遺族の恨みは晴らされず、二人三人の場合は晴らされるというのは矛盾ではあるまいか? そもそも国家が個人の復讐を代行するという考え方自体が法律とあまりにかけ離れているが・・・。
理論だけに頼るといまいち説得力に欠けるので、不本意ながら感情論を持ち出そう。
刑罰というのは、物質的にてを下した者とそれに命令を下した者にのみ適応される。
それ以外の方法、すなわち致命的な一言によって自殺に追い込んだ人間や、ある種暴力的な手法をもってシェアを独占し、それによってたの会社ないし店舗を経営困難に陥らせ、自殺者を出した会社、弱みに付け込み法外な利子で借金を負わせ自殺に追い込んだ金融会社なども罰せられる事は無い。しかし、被害者の感情とすれば直接てを下された場合と大して相違は無い。だが、これらの場合復讐が国家の手によって行なわれる事はありえないし、これを個人の手で行なえば処罰される。
物質的に手を下した場合は国家が復讐を代行し、そうでない場合は復讐さえ認めない。これを正義とするのは奇異奇天烈極まりない価値観だと思うのだが。
どうもうまくまとまらなかったが、犯人の死によってのみ救われる遺族の心なんてものは、端から病んでいるような気がする・・・・。
さてさて、第三の理由である。
一度釈放された犯人が、通報した人間や遺族を逆恨みし、殺人を繰り返すことを、死刑によって防ぐという主張である。
確かに、そういうケースは数多く報告されており、看過する事は出来ないであろう。
しかし、これは終身刑(無期懲役ではなく)を導入すれば防ぐ事は出来る。
脱獄の可能性もあり、被害者は安心できないではないかという指摘もあるであろうが、現在の死刑制度ではいつ誰が死刑になるか公表されないのだから同じことである。被害者は結局不安だ。
まあ、公表すればすむ話なのだが。
この辺はそうまでして人を殺したい?とでも言ってごまかしておくしかないだろう。
ここまでは、死刑制度支持派の主張を論破してきただけだが、今度は積極的に死刑制度の弊害について論じていきたいと思う。
まず1つ、これは精神論だし、僕以外にこんな事を考えている人は少ないだろうからあんまり気にしなくてもいいのだが。・・・・
それは、死刑を受ける人間が死刑に至るまでに受ける苦痛はその人間の犯した罪よりも大きいのではないかということ、死刑囚の多くはは死刑台に登るとき恐怖で足がすくんで動けなくなるというが、どんな凶悪犯でも被害者にこれほどの恐怖を与えた者はいないであろう。
なぜなら、犯人に襲われた被害者は”殺されるかも知れない”と思うだけだが死刑囚を待っているのは逃れられぬ確実な死である。
さらに言えば、死刑の日時は死刑囚には告げられない。それを待ちつづける死刑囚の心境たるや、想像することさえ容易でない。
ま、これは死刑に反対する根拠にはならんけどね。
第二に、無実の罪で死刑になる人間もいるかもしれないということ。岩窟王事件以来再審制度も確立されているが、それでも絶対にありえないとはいえない。死刑してしまえばその後決定的な証拠が出てももはや取り返しがつかないが、終身刑で牢獄に入っていれば賠償金を支払うぐらい出来るだろう。
(最もそれで十分だとは口が裂けても言わないが。
)
ここまでだと、死刑なんかせんでも終身刑の方がええよー。といってるぐらいだが、最後に決定的な一事を上げようと思う。
それは死刑執行人の精神への悪影響である。
死刑制度を導入している多くの国で(日本を含む)
死刑執行人が、自ら殺人を行なった事件が数多く報告されている。この一事をもって死刑制度が彼らを殺人者たらしめたとはいえず、端から人を殺したい人間が死刑執行人を志願しているのかもしれないが、その場合でも死刑制度は殺人者の息抜きに使われた事になり、どう言葉を取りつくっても健全とは言いがたい。
以上の根拠をもって僕は死刑制度の撤廃を強く求める物である。
うーん、長くなったねえ、陪審員に関してはまた明日ね。
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我がために鐘は・・・鳴らないよなぁ。
2001年3月19日サボテグロンさん、お気に入り登録有難うごさいます。
っと、いうわけで、実家に帰っておりました。実家にはネット環境が無いので、日記をかけませんでした。うーむ、書くことがたまりすぎて何から書いたらいいかわかりませんなぁ。
手始めに、バトロア批判の続きでも・・・
今回はちょっと突っ込んだ話でもしようかなと。
小説版は僕は読んでないんですけど、評判は結構いいみたいですね、詳しい事は知らないけど小説版では第二次世界大戦で日本が勝っていて、日本では天皇中心の恐怖政治が続いている、みたいな設定だったと思う。(少々の違いは勘弁願いたい読んだ訳ではありませんので・・・・)単に、殺し合いをさせるのなら、ファンタジーかSFの世界の方が適当だろう、中学生同士でやるなら、現行の日本政府があってはおかしいからこういう設定にならざるを得ない。日本国憲法が生きていれば、BR法などという法律が通るわけが無い。感情論を除いてもBR法が通るためには日本国憲法の大原則である基本的人権の尊重、平和主義、そしておそらく戦争の放棄。これらすべてを放棄せねばならない、おそらく日本は世界中のすべての国から相手にされなくなるだろう。だが、日本帝国憲法が今日まで生きていればそういうこともあるかもしれない。(もともと、世界中が敵だしね。)
映画版の監督(名前を忘れた)は、あえて設定を現在の日本に近づけ、その中に描かれる中学生達を現実のそれ、すなわち不登校や校内暴力、ナイフ事件などと絡める事で実際に映画を見るであろう青少年(団塊世代は間違ってもこの映画を見ないだろう)との皮膚感を出そうと思ったということは容易に想像できる。しかし、この監督の試みは僕の見る限り完全に失敗に終わっている。なぜなら物語がいかに”リアルな”物になるかは、その物語の世界がいかに現実に近いかではなく、そこに住む人間がいかにリアルに描かれるか、または、物語の基調となる世界がいかに緻密に練り上げられるかにかかっているからである。例を出すと、設定がいかに現実離れしているかという点についてはスレイヤーズとベルセルクはさほど違いは無い(例えが悪かったかも、違うか、やっぱり)そのリアルさはベルセルクの方がはるかに勝っている。人物のリアルさと背景世界の設定の緻密さのなせ得る業である。
話を本題に戻すと、映画版は設定こそ現実の日本に近くなったものの、主人公の秋谷を含め、両親と激しく憎みあったりはしていない様子である。
前にも述べたように、BR法を制定するには憲法を改正しなければならないし、そのためには国民の三分の二の賛成が必要である。だが、現実に限りなく近い(多少、若年世代を憎んでいる感はあるが)大人たちがこのような愚行に走るとは到底考えられない。話が現実離れしすぎているのである。
現実離れした話をやるためには、現実離れした設定が必要である。BR法が可決されるとしたら、一人の独裁者が立法権を握っていなければならない。つまり戦争中の日本の状態がそのまま維持されるというのがこれを実現する最も説得力のある設定だと思う。(そーともいえんかな)結局監督は設定を現実に近づける事によって物語をよりあり得ない者にしてしまうという皮肉な結果を招いたのである。
ま、あんな作品が注目されるのか、僕には分かりませんな。監督ぐらいの年代の人は、映画が好きで映画を撮ってる人間ばかりなのだからしょうがないか。
っと、いうわけで、実家に帰っておりました。実家にはネット環境が無いので、日記をかけませんでした。うーむ、書くことがたまりすぎて何から書いたらいいかわかりませんなぁ。
手始めに、バトロア批判の続きでも・・・
今回はちょっと突っ込んだ話でもしようかなと。
小説版は僕は読んでないんですけど、評判は結構いいみたいですね、詳しい事は知らないけど小説版では第二次世界大戦で日本が勝っていて、日本では天皇中心の恐怖政治が続いている、みたいな設定だったと思う。(少々の違いは勘弁願いたい読んだ訳ではありませんので・・・・)単に、殺し合いをさせるのなら、ファンタジーかSFの世界の方が適当だろう、中学生同士でやるなら、現行の日本政府があってはおかしいからこういう設定にならざるを得ない。日本国憲法が生きていれば、BR法などという法律が通るわけが無い。感情論を除いてもBR法が通るためには日本国憲法の大原則である基本的人権の尊重、平和主義、そしておそらく戦争の放棄。これらすべてを放棄せねばならない、おそらく日本は世界中のすべての国から相手にされなくなるだろう。だが、日本帝国憲法が今日まで生きていればそういうこともあるかもしれない。(もともと、世界中が敵だしね。)
映画版の監督(名前を忘れた)は、あえて設定を現在の日本に近づけ、その中に描かれる中学生達を現実のそれ、すなわち不登校や校内暴力、ナイフ事件などと絡める事で実際に映画を見るであろう青少年(団塊世代は間違ってもこの映画を見ないだろう)との皮膚感を出そうと思ったということは容易に想像できる。しかし、この監督の試みは僕の見る限り完全に失敗に終わっている。なぜなら物語がいかに”リアルな”物になるかは、その物語の世界がいかに現実に近いかではなく、そこに住む人間がいかにリアルに描かれるか、または、物語の基調となる世界がいかに緻密に練り上げられるかにかかっているからである。例を出すと、設定がいかに現実離れしているかという点についてはスレイヤーズとベルセルクはさほど違いは無い(例えが悪かったかも、違うか、やっぱり)そのリアルさはベルセルクの方がはるかに勝っている。人物のリアルさと背景世界の設定の緻密さのなせ得る業である。
話を本題に戻すと、映画版は設定こそ現実の日本に近くなったものの、主人公の秋谷を含め、両親と激しく憎みあったりはしていない様子である。
前にも述べたように、BR法を制定するには憲法を改正しなければならないし、そのためには国民の三分の二の賛成が必要である。だが、現実に限りなく近い(多少、若年世代を憎んでいる感はあるが)大人たちがこのような愚行に走るとは到底考えられない。話が現実離れしすぎているのである。
現実離れした話をやるためには、現実離れした設定が必要である。BR法が可決されるとしたら、一人の独裁者が立法権を握っていなければならない。つまり戦争中の日本の状態がそのまま維持されるというのがこれを実現する最も説得力のある設定だと思う。(そーともいえんかな)結局監督は設定を現実に近づける事によって物語をよりあり得ない者にしてしまうという皮肉な結果を招いたのである。
ま、あんな作品が注目されるのか、僕には分かりませんな。監督ぐらいの年代の人は、映画が好きで映画を撮ってる人間ばかりなのだからしょうがないか。
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ただいま研修中。
2001年3月3日今日は先日面接を受けたバイトの研修があった。明日もある。、パソコン(某N○C社)とその周辺機器の販売応援が仕事、で今日はそのための基礎知識を身につけるための研修(ってか講習か)だったんだが・・・・・でも、パソコン使ってる奴なら知ってることばっかりで、かなり退屈。俺は何しに大阪まで行ったんじゃ・・・・って感じである。ちゃんと経験別にグレード分けして欲しいもんである。(となりのオヤジ(しかも二回目らしい)なんか全然和分からんと繰り返してたし・・・)そのほうが会社の方も楽だろうに・・・てなわけで、明日は具体的な商品の説明と販売方法の説明である。なんかしらんが、ロールプレイングもやるらしいぞ。
お、結構増えてる。
2001年3月2日またまた日記、さぼっていました、ごぶさだです。
かなり前、バトルロワイヤルという映画を(知っている人も多いでしょう。)を(不覚にも)見てしまいました。ここにその感想を述べたいと思います(何でいまさら・・・)
てか、あれは無いでしょ、あれは。
まず、オープニングテーマは、ヴェルディーのレクイエムよりディーエス イーレ(つづりを忘れたのでカタカナ表記にてご勘弁を・・・)・・・・いや、この曲はいい曲です。めちゃめちゃいい曲です。でも、この曲わずか数年前にエヴァンゲリオン
で使われてるんですよ。パクリがいけないとは言いませんけど、これはあんまりです。
また、劇中には著名なクラシックが数多く使われていました、しかも、全く場違いなシーンで、さらに、おなじくエヴァで使われた曲を!!・・・・・・やりすぎです。パンフレットによれば、曲をすべて一週間で用意したということですが・・・そんなもん放送すんなよ、・・・あと、全体的に不自然(過ぎる)シーンが多いです。パイソンを片手でぶっ放す女子中学生、UGIを片手で振り回す中学生、玉が切れても引き金が引けるオートマティックピストル、食べて10秒で死んでしまう毒物(サリンとかなら分かるけど・・・血はいてたし・・・何なんだあれは、パンフには載ってるのかな?)ああ、恐ろしい。一番笑ったのはラジオ体操の音楽だけど・・・
そして、なんと言っても圧巻はエンティングテーマ・・・・なぜドラゴンアッシュなんだー。今までストリングやピアノなんかを使ったシックな曲が多かったのに、オープニングはレクイエムなのに、結構シリアスなエンティングなのに、なぜあの監督はここまで音に無頓着になれるんだー。そういえば効果音もめちゃくちゃしょぼかった。あれならバイオハザードのほうがいい音を出している・・・・。
ついでだし、この映画を理不尽にもR指定にしてしまったPTAの方々にも矛先を向けておくとしよう。(敵倍増計画)この映画、さほど過激なシーンは無いんである。人間が撃ち殺されるシーンなんかは、アクション映画なんかを見るといくらでも出てくる。そうではなくて、同級生同士が殺しあうというストーリー自体の残虐性? ならば、単に悪の組織(笑)の一員であるだけの人間をばったばったと惨殺する時代劇は残虐ではないのか? 敵対しているというだけで殺戮を繰り返すシュワちゃんは残虐ではないのか?(笑)それとも、クラスメイトを殺すのはだめで、悪人の手下(別に何にも悪いことしていない)を殺すのはいいことなのか?まこと不可解な価値観の持ち主達である。(まあ、人間は人を殺してはいけないなんてルール、作った事無いんだし不思議は無いのかも知れん。)
もうちょっと踏み入った批判も書く予定だったのだが、文字数があんまりにも多くなったんでまた後日にする。
かなり前、バトルロワイヤルという映画を(知っている人も多いでしょう。)を(不覚にも)見てしまいました。ここにその感想を述べたいと思います(何でいまさら・・・)
てか、あれは無いでしょ、あれは。
まず、オープニングテーマは、ヴェルディーのレクイエムよりディーエス イーレ(つづりを忘れたのでカタカナ表記にてご勘弁を・・・)・・・・いや、この曲はいい曲です。めちゃめちゃいい曲です。でも、この曲わずか数年前にエヴァンゲリオン
で使われてるんですよ。パクリがいけないとは言いませんけど、これはあんまりです。
また、劇中には著名なクラシックが数多く使われていました、しかも、全く場違いなシーンで、さらに、おなじくエヴァで使われた曲を!!・・・・・・やりすぎです。パンフレットによれば、曲をすべて一週間で用意したということですが・・・そんなもん放送すんなよ、・・・あと、全体的に不自然(過ぎる)シーンが多いです。パイソンを片手でぶっ放す女子中学生、UGIを片手で振り回す中学生、玉が切れても引き金が引けるオートマティックピストル、食べて10秒で死んでしまう毒物(サリンとかなら分かるけど・・・血はいてたし・・・何なんだあれは、パンフには載ってるのかな?)ああ、恐ろしい。一番笑ったのはラジオ体操の音楽だけど・・・
そして、なんと言っても圧巻はエンティングテーマ・・・・なぜドラゴンアッシュなんだー。今までストリングやピアノなんかを使ったシックな曲が多かったのに、オープニングはレクイエムなのに、結構シリアスなエンティングなのに、なぜあの監督はここまで音に無頓着になれるんだー。そういえば効果音もめちゃくちゃしょぼかった。あれならバイオハザードのほうがいい音を出している・・・・。
ついでだし、この映画を理不尽にもR指定にしてしまったPTAの方々にも矛先を向けておくとしよう。(敵倍増計画)この映画、さほど過激なシーンは無いんである。人間が撃ち殺されるシーンなんかは、アクション映画なんかを見るといくらでも出てくる。そうではなくて、同級生同士が殺しあうというストーリー自体の残虐性? ならば、単に悪の組織(笑)の一員であるだけの人間をばったばったと惨殺する時代劇は残虐ではないのか? 敵対しているというだけで殺戮を繰り返すシュワちゃんは残虐ではないのか?(笑)それとも、クラスメイトを殺すのはだめで、悪人の手下(別に何にも悪いことしていない)を殺すのはいいことなのか?まこと不可解な価値観の持ち主達である。(まあ、人間は人を殺してはいけないなんてルール、作った事無いんだし不思議は無いのかも知れん。)
もうちょっと踏み入った批判も書く予定だったのだが、文字数があんまりにも多くなったんでまた後日にする。
無い知恵絞って考えました。
2001年2月26日こういうことを書くと僕の正体がばれてしまいかねないんだが・・・まあいいか、賢明なるちかみんさんはそろそろ気づいている事だろうし・・・さてさて、と、いきなりこんな事を書くと性格を疑われかねませんが(もう十分疑われているだろうからかまわないでしょう)人間というのは例外なくエゴイストなんですよ、(エゴイストという言葉をどう捉えるかにもよりますが)いかなる人間も自分以外の人間のためにどのような行動もとることは出来ないんです。他人のためと思ってする事、それは他人を幸せにしているという満足感のためにする事に他ならない訳で(よく言われることですが・・・)頭の悪い団塊世代の女性はなにかっつーと「あなたのため」とかおっしゃいますが、・・・子供のためってのが僕は最も不可思議な言葉に聞こえます。だってその子供って奴は何でこの世に存在してるんでしょうかね?それは父親と母親が・・・・って、いーややめとこ、公共の場にふさわしくありませんね。
若い男性の方の中にはこういう理由でボランティア活動なんかを偽善行為だと言っちゃう人もいるんですが・・・偽善大いに結構、というより偽善なんて言葉を使う人間自体知性を疑って・・・やめときましょう悪戯に敵を作るのは・・・重要なのはその行為が常に自分のための物である事を自覚する事なんだと思います。友達に優しくするのは、その友達といい関係を続けたいから、恋人にプレゼントを贈るのは素敵な笑顔が見たいから(をいをい)子供に何かと指示を出すのは自分の子供がみっともないと世間様に対して恥ずかしいから、もしくは、子供が自分の重い通りにならないと不満だから、もしくは、子供の教育だけが自分の生きがいだと信じて・・・この辺にしておかないと、道端で後ろから刺されかねません。まあこんな風に考えれば「いっつも気使ってやってんのにこいつはー」とか、「私がこんなにXXしてるのにこの子はー」とか、言う必要も無い訳ですし、弱者に対する協力も、環境への配慮も、それが自己尊厳の獲得のためと考えればいいんですし・・・どうですかねえ、周りがみんなこんな人間ばかりだと僕も嬉しいんですがね(笑)。
若い男性の方の中にはこういう理由でボランティア活動なんかを偽善行為だと言っちゃう人もいるんですが・・・偽善大いに結構、というより偽善なんて言葉を使う人間自体知性を疑って・・・やめときましょう悪戯に敵を作るのは・・・重要なのはその行為が常に自分のための物である事を自覚する事なんだと思います。友達に優しくするのは、その友達といい関係を続けたいから、恋人にプレゼントを贈るのは素敵な笑顔が見たいから(をいをい)子供に何かと指示を出すのは自分の子供がみっともないと世間様に対して恥ずかしいから、もしくは、子供が自分の重い通りにならないと不満だから、もしくは、子供の教育だけが自分の生きがいだと信じて・・・この辺にしておかないと、道端で後ろから刺されかねません。まあこんな風に考えれば「いっつも気使ってやってんのにこいつはー」とか、「私がこんなにXXしてるのにこの子はー」とか、言う必要も無い訳ですし、弱者に対する協力も、環境への配慮も、それが自己尊厳の獲得のためと考えればいいんですし・・・どうですかねえ、周りがみんなこんな人間ばかりだと僕も嬉しいんですがね(笑)。
ひまじんおーるざぴーぽー
2001年2月25日さてさて、暇なので戯れに明日の日記でも書いて見ましょう。明日は予約していた派遣系バイトの仕事が無く、新しいバイト先の発掘に費やされる事でしょう、また、面接のため髪を切りにいく予定です。
うーん、結局タイトルと全然関係ない話ばっかやなア。電話代がかかっているという恐怖感からあんまり考えてかけないのよね、これ。
うーん、結局タイトルと全然関係ない話ばっかやなア。電話代がかかっているという恐怖感からあんまり考えてかけないのよね、これ。
ひひひ。
2001年2月24日ここ暫く、ここに書き込みしてなかったのでまとめて最近のことを書いときます。最近いろいろな事がありました。寝過ごして試験を受けられず単位を落としたり、普通に単位を落としたり、一番勉強していた科目の単位を落としたり授業サボりすぎて単位を落としたり、レポートを提出せずに単位を放棄したり、勉強不足で単位を落としたり・・・・。ふふふ明日があるさ・・・
けっけっけ(意味不明)
2001年2月22日本日二回目の書き込み。前回のブランクの何千分の1だ?こりゃ。ってっか、さきほど地元の母から電話があって、ごく最近決まったバイト(まだ働いてはいない)について騙されるなよーとか訳のわからんことをのたまわれた。だまされるかちゅーねん。”大丈夫な会社なが?”そんな事一回見たぐらいで分かるかっちゅーねん。”なんかあったら連絡しいよ”嫌じゃ。てなわけで結局愚痴ばかりの空鼠でした。
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うけけ。
2000年10月31日今日も友達が遅くまで居座っていて、明日の予習が出来なかった。・・・・まあ、いいか。てかこれからやれよ・・・・そんな事はどうでもいいとして、どうも最近うちの合唱団の指揮者が好きになれない。今日、合唱団同士の渉外通信?のようなものを読んだのだが・・・・やたらに小難しい単語を並べて、いかにも自分は音楽がわかってますよ、深い哲学を持っていますよ、という雰囲気だった。それなりに内容が伴っていたのでいいといえばいいのかもしれないが、そういう言葉を使わなければ表現できないような内容でもなかった気がする。それよりも、この程度の文章が理解できない人間は相手しませんよと言うような雰囲気がにじみ出でいると感じるのは、僕がひねくれているからだろうか?
しばらく前、僕が彼をやたらじろじろ見ていたところ、(僕は、一度目が合った人間を見つめてしまう癖がある)「何か、敵意でもあるのか」といわれてしまった・・・・「心当たりでもあるんですか」といってみたかったが、あとが怖いのでやめにした・・・ってなんか初日から愚痴ってるな、しかも内輪ネタで・・・・続くのかな、これ。次は一ヵ月後ぐらいになるかも。
しばらく前、僕が彼をやたらじろじろ見ていたところ、(僕は、一度目が合った人間を見つめてしまう癖がある)「何か、敵意でもあるのか」といわれてしまった・・・・「心当たりでもあるんですか」といってみたかったが、あとが怖いのでやめにした・・・ってなんか初日から愚痴ってるな、しかも内輪ネタで・・・・続くのかな、これ。次は一ヵ月後ぐらいになるかも。
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