たけしの日本教育白書って番組をチラッとだけ見ました.
テレビはお笑いとニュースしか見ない人になりつつあったんですが,一応教育とか昔多少興味あった問題なのでなんかちょっとだけ見てみたんですよね.

なんというか,テレビというのは相変わらず視聴率さえ稼げれば何でもいいんですね.

なんだあれ?

教育を考える番組なのに,たけしという教育とは全くかかわりのない人間がが仕切ってる.
まぁ彼の番組なんだからそこはしょうがないかもしれない.
でも,ゲストに現役の教師も教育学者もいないってどういうことなんだ.

お笑い芸人とかゴルファーのパパとか(だっけ?)石原慎太郎とか呼ぶ前に宮台真司ぐらいは呼んでおこうよ...

別にそういう教育のプロの意見だけが正しいわけでも大事なわけでもありません.

普通テレビ以外で何かの問題を話し合うなら,その道のプロをメンバーに加えませんか?

いわば素人の意見,独自の教育論を持って子どもを教育し,結果も残している.そういう人の意見を聞くことは有意義です.

しかし,それは,視聴者が一般的な教育者や親とどういうところが違うから結果が残せたのか,が分からなければ効果は薄いでしょう.

そして,頭がいいとは本当はどういうことなのかを番組で検証してました.

えっと,こういうことを言い出すこと自体,既に頭が悪い気がするのですけどね.

学術や数学用語,また一部の日常語を除いて基本的に言葉と言うのは誰かが厳密に定義して生まれたものではなく,慣習からの自然発生が主なはずです.
故に多くの場合その定義は曖昧で,文脈によってその意味は変化することが自然です.
これを避けるために多くの学問では専門語を定義するのです.

”頭がいい”と言うことばの厳密な定義なんてものは初めからなくて,文脈に応じて人々が”あいつ頭がいいな”と思った人を”頭がいい”と言っているだけでしょう.まぁトートロジーですけどねw

そして,どういう場面で人は他人のことを”頭がいい”と思うのか,それは乱暴に言ってしまえば”自分には出来ない知的活動を見せ付けられた時”でしょう.これは必要条件ですけど.

どうでもいいけど,ホリエモンのIQたいしたことないんですね.
122って東大生の平均よりちょっとだけ高い程度でしょう.
それが半年の勉強で東大に入れたんだから,多分勉強のやり方が上手かったんでしょうね.まぁ余談です.

最後の命の授業ってのがこれまたヒドかった.
いや,この先生がやろうとしていたこと自体は面白いと思うし,今の子ども達に必要な内容だと思う.
でもいくらなんでも見通しが甘すぎる.
3年も一緒に暮らした動物を殺して食えるかっての.

この辺細かくは,違う話題もからめて後日書くとして...

この授業の目的は,生きている豚を飼い,殺して食べることでしょう.
パック詰にされた豚肉が,本当は生きた豚の屍あぶって切り裂き小さくなったそのお肉だってことを知るためでしょう.ちなみにこの1文はミスチルのパクリです.
だったら,食べることが没になっちゃった時点でこの授業は失敗でしょう.

この目的で授業するなら,ライフサイクルの短い鶏なんかの小動物がコストの面でも,情がさほど移らないと言う面でもいはず.

要するに,この先生の計画が杜撰だっただけじゃないか.

それを,先生も生徒から学んだとかって,最初からそれぐらい分かっとけっての.

なのに先生反省の色全くナシ,おいおい.
結果的に出来上がった教材,一部始終を収めたビデオは面白いと思うけどそれは結果論でしょ?

十分予測を立ててやったんだけど,不確定要素があって予測とは違った結果になった,しかしこれはこういう新たな問題を提起するとか,こういうことが分かったとかいうなら十分価値はある.

でもこれ,単に予測が甘かっただけじゃん.
無理やり美談にするなって.

後石原慎太郎とビートたけしの対談は,相変わらずたけしは自身の子ども時代と現代の子どもの差異をあげつらって,だから〜はダメなんだでおしまい.
石原に至ってはただの自慢話でおしまいでした.

学力低下とかニートとかセンセーショナルな問題をとりあげて,いかにも考えてるフリで騒ぎ立てておしまい,問題提起だけで解決案を考えようとしない.
もちろん画一的な答えを押し付けるのは良くないけど,だからって何も言わないのは無責任てもんじゃないのでしょうかね.



相変わらずまとまってないなぁ.もうちょっと文章力を鍛えないと...

けっこういろいろ書いたんだけどねぇ,才能がないのかね.

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