人は,間違うこともあります.
見間違い,聞き間違い,思い違いなどなど,

全ての間違いを正す必要は無いのかもしれません.

あいつは勘違いしてるけど,それによってみんなが幸せならそれでいい.

その通りです.

しかし,勘違いによって人を傷つけてしまうこともあります.
自分の意志を守るため,人を傷つけなければならないこともあるかもしれません.立ちふさがる人間を倒さなければ,ライバルを蹴落とさなければ手に入らない夢もあります.

しかし,勘違いで人を傷つけたら,やられた側はたまりません.

例として,僕の苦い経験を挙げなければならないでしょう.

勘違いとは,僕の母親の勘違いです.
それは,母親自身が思う幸せが,僕の幸せだという勘違いです.
この勘違いによって僕は僕の自分の思いの全てを否定され,立ち直れないほど傷つきました.

その人にとっての真実は,その人にとっては正しく誰も否定できないという言葉は,しかし,この行為を許容します.

人のこと否定してるじゃないか,だからダメだというかもしれません.

しかし上の考え方では,ダメだというのもただの個人の考え方ということになってしまいます.

これが,相対論が相対論自体を相対化するということです.

そして僕は,人を傷つける勘違いを避けるため,時に自分の感覚や記憶さえ疑い,真実を知ろうとする想いを,他のみんなと共有したい.

これが私の望みです.

コメント