タブー。

2002年10月20日
自分を才能の無いクリエイターだと呼ぶ富野由悠季
自分を異常天才と呼ぶ小林よしのり(なんと恥知らずな事だろう)

なんでこの二人を比べるかというと、二人とも今まで人がやらなかった事をやって、不動の地位を築いた人間だということだ。

違いは、富野由悠季が誰も気付かなかったこと、あるいわ誰もがアニメには不要だと思っていた事をそれが極めて有用であることを証明した。

小林よしのりは”東大一直線”や”おぼっちゃまくん”で業界のタブー破りをいっぱいやって、自分の漫画を売りに売った。

まー、富野由悠季もいっぱいタブーは破ったんである。主人公は殺す、ヒロインは犯す、最後は皆殺しで、ついたあだ名が”皆殺しの富野”。

作品の出来不出来はともかくとして、富野由悠季はいまだに戯作者として高みを目指し、精力的に作品を発表し続けている。

小林よしのりは、どこで何を間違えたのか”ゴーマニズム宣言”なるものを書き始た。
ま、内容は漫画でわかるK林ってとこですな、それ以上でもないけど以下ではあるかもしれない。

それで小林よしのりはいっぱしの思想家になったつもりで知識人批判を繰り返しているが・・・

ま、内容は読んでみてちょとしか言えんな、強いて言うなら某chの掲示板を荒らして喜んでる奴と同レベルってとこですか。

彼は、知識人が議論に負けそうになった人間がたかが漫画家と言って逃げるといっているが、それは”おぼっちゃまくん”程度の漫画しか描けない人間だからでしょ?

ベルセルク書いてる人やとかモンスター書いてる人とかに、たかが漫画家といえる人なんて日本に何人いる?

俺は思いつかんぞ、宮崎駿が言うなら許すが多分言わないだろう。

ゴーマニズム宣言読んで、富野由悠季の談話聞いたり、著書を読んだりすると、その思想の次元の差に愕然とするよ。

次元なんて物はない、単に違いがあるだけだという人もいるかもしれない。確かに単に”違う”だけの
場合もあるが、ある思想を経験して、それを乗り越えなければ到達できないという境地は存在するのだから、それを次元と表現する事に僕は吝かでない。

僕は基本的に戯作者ってのは最高の哲学者で、思想家で表現者だと思っている。それを投げ出して(もとから戯作者のレベルの作品は作れなかったかもしれないが)単なるイデオロギスト(そんな言葉あんのか?)にまで堕落したK林(なんでいまさら伏せる?)にもはやなんの魅力も無い。

どうでもいいが、最近政治って物が本当に嫌いになった。

理由、つまらないから。

「地球の連中の正体を知って、本当に嫌気が差した」んですよ、引用がまちがってたらごめん。

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